嫁聴け
evergreen
MY LITTLE LOVER (1995)
恋愛少女漫画の現実。舞台設定に理不尽というものがありえない少年漫画に対し、恋愛少女漫画は 「ありえてもよい世界」 に繰り広げられる。登場人物の環境が身近に置かれていながら、その展開はあくまでも架空。読者はそこに現実をクロスオーバーさせるのだが、幕が下ろされるときは物語としてである。この残り香は淡く、分断されることなく滲んで行く。それゆえ読者の中にとどまり、消えることのない色として常にあり続ける。現実と想像は乖離するものだが、ここでは共有もまた、矛盾ではなく容認される対象になる。 MY LITTLE LOVER の現実はここに作られる。
淡く、イメージを縛らない言葉。身近に使われる言葉。一次元から四次元に至るまで、想像のゆとり、そこでの創作物を全て聞き手に任せた変幻自在な色。行間という名の可能性。割れることのない風船。しかしながら現実。
声は共有の現実。読者にも作り出だせるその現実は、自らもまた架空の世界を求め、なぞる事で手が届くことを提示している。だからこそ実践する。歌という世界に生きる自分を演出するために歌を求め、そして自分のものとして、自分の現実として、自分の色をそこに見出す。
空の碧 (あお) は実世界ではなく架空世界に展開されるもの。それを見上げる自分の隣には誰もいない。なぜならそこに 「ある」 ものは 「ない」 ものだからだ。しかしながら生み出されたものから展開させることは可能となる。事実 「見上げている」 という、演出された現実がある。継ぎ目はあまりにも曖昧で、手軽にその世界に身を置くことが出来る。そのための舞台設定は、やはりありえる世界でなくてはならない。ありえる世界とは、すなわち存在しない世界。これは禅問答ではなく、最後に姿を現わす、その帰還点は実際の自分であり、真の現実であり、同時に、想像された世界もまた、そこに息づいていた世界であるという事実を意味する。
手に入る架空であるからこそ、色の変化は 「ありえない」 。永遠の緑は碧 (みどり) であり、やはりその境界線は曖昧に滲む。