嫁聴け
Love
河村隆一 (1997)
率直に訊きましょう。河村隆一、好き?
実際に歌っている 「顔」 を大画面のテレビで見てしまった人に、かなりのインパクトを与えてしまうあのボーカルスタイル。何を発酵させればああなるのだろうか究極の粘着ボイス。 「ナルシスト」 の代名詞。嫌われ要素十分の河村隆一は、どうして吉田栄作のように総スカンを食らわないで生きて行けたのだろう。
解答→メロディがいい。
ちょっとだけ昔の話をしよう。作曲家の存在そのものが 「認識されていた」 最後の時期であった 80 年代は、アイドルという、自らが生産活動を行わない 「歌い手」 の全盛期でもあった。そして当時の作曲家は趣味ともいえる副業として自らの作品を歌い、その活動は一部の音楽ファンにのみ知られるという状況であった。歌い手と作り手との間には確固たる境界線があり、 「作曲家」 は表に出ることなく製作活動を行う存在でありつづけた。
彼らこそが 「名曲」 の作り手であり、信頼に値する 「歌謡曲」 という総合ジャンルの安定供給かつ大量生産に成功していた。一方、寡作でありながらも曲を作り、それを自らが歌うことを仕事とした 「シンガーソングライター」 は、フォーク、もしくはニューミュージック、そしてロックという特殊なジャンルに分類されていた。
しかし 90 年代に入ると音楽流通の中心は 「若者向け音楽」 であるロックが中心となり、専門の作曲家の占める地位は著しく低下する。自作自演を行うものは 「アーティスト」 と称されるようになり、バンドであればメンバーが曲を作り、ソロシンガーであれば自らの手において作詞から編曲までをも手がけることが半ば当然となった。その中で 「シンガーソングライター」 という言葉は知らぬ間に消えていたのである。
これによってアーティストは 「ある意味」 優れた作曲家となり、著名なアーティストに曲を提供してもらうことが、非自己生産歌手にとってのステータスともなった。まずは自らの音楽活動を認知してもらい、それから場合によっては曲の注文も引き受けるというパターンが定着したのである。
前置きが長くなってしまった。ともかくこのような状況の中で LUNA SEA という日本の若者向け音楽界の中心に位置するバンド、そのボーカリストである河村隆一は 1997 年、ソロとしてリリースしたシングル 4 曲をすべて大台に乗せることに成功した。それまでのバンド活動では一度も果たせなかった記録である。
タイアップ、ドラマ出演。単純な勝因は誰でもすぐに思いつく。が、あまりにもアクが強いそのボーカルスタイルは、嘲笑の対象となりやすく、本筋である音楽活動がないがしろにされてしまう危険性もあった。しかし彼にはそれ以上に強力な武器、 「ポップス」 として練り上げられたメロディを持っていた。すなわち楽曲そのものが認められた上での大成功をおさめたのである。そしてソロでの活動が成功するにつれ作曲家としての活動も盛んになった。 Say a Little Prayer、酒井法子、猿岩石、工藤静香、IZAM 等など。アイドルや色モノと称されるような歌い手に提供された曲も 「河村隆一」 (RK WORKS) ブランドとして、大ヒットとならずとも、そのメロディの良さから長期にわたってチャートインし続けるスマッシュヒットとなった。
「練り上げられたメロディ」 とは? 河村隆一のソロ作品に、テンポの早い曲はそう見当たらない。シングルは 2 枚がミディアム調、2 枚はバラードである。 「勢い」 と 「まぐれ」 で売れてしまいやすいアップテンポの曲がない。 「なんかいい曲」 「ちょっと気になる」 と思わせるメロディ。じんわりとしみる曲は緩いカーブでチャートを昇り、そして緩く、非常に緩く下って行く。このように 「浸透する」 という言葉がふさわしく、アーティスト河村隆一は認知されていった。 80 年代の 「微妙に懐かしい」 メロディが 「よいメロディ」 として再注目を浴びる中、そのレンジにありながらも若干異なる 「独自のポップ」 を確立し、 「まさかあの RYUICHI がここまで書けるとは」 と多くの音楽ファンをうならせた。この時点で彼は 「作曲家」 としてのポジションを獲得したといえる。 「ノせる」 のではなく 「書く」 「メロディを聴かせる」 アーティストとして認識されたのである。
今現在、テレビやラジオから聞こえてくる河村隆一メロディにも 「あ、これは絶対に河村隆一だ」と 思わせるような個性があり、そして幸いにもマンネリには陥ってない。 「このメロディ、どうやって展開して行くんだろうか」 という 「聴く楽しみ」 がある。
このようにしてそれまでのバンドでの人気、偏見を見事にリセットしてみせた 「RYUICHI」 こと河村隆一 。作曲家としても注目され始め、提供楽曲を自らも歌った 「河村隆一作品集」 とも言うべきアルバム 『Love』 は 300 万枚に迫る記録を残した。しかしこれら楽曲は単なるセルフカバーではない。作曲家としての活動が先にあり、それを自らの中に取り込む。かつ積極的にアーティストとして活躍する点が、 80 年代の作曲家とは大きく異なっている。広く大衆に受け入れられるメロディ、共感させる旋律。作品が 「曲としての水準」 を余裕で超えているために、比較的シンプルなアレンジに乗せた曲でも 「とりあえず歌っておきました」 という安直さを一切感じさせない。 「これが僕の作品なんです。ね、いいでしょ」 という、ちょっとナルシスな雰囲気がプンプンと (むしろムンムン、か) 漂ってきて、それが悔しいことに 「ああ、いい曲だなあ」 と思わせる。
少々余計なお世話的な話だが、このアルバムのジャケットに本人の写真が掲載されたのであれば、売上はもう少し落ちていたことが考えられる。それくらいに外面的な好き嫌いの激しいアーティストであり、逆にいうならば曲が認められているがゆえに 「悔しいけれど買った」 という購入前の心理的葛藤があっただろうことも想像に難くない。
99 年春現在、 LUNA SEA の RYUICHI であるこの人物は RK WORKS として楽曲の提供活動、プロデュース業を続けている。バンドのカラーとソロのカラーを使い分けながらアーティストとしての活動を続けている 「作曲家」 。色眼鏡を外しさえすれば、このナルシスな作曲家のメロディは意外に柔らかく、そして素直に聞き手の耳に入ってくるはずである。