嫁聴け

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吉田兄弟 (2000)

わずか明治生まれでしかない津軽三味線は、歴史を語るには随分と若い楽器である。しかしマスに向けた公開の場が与えられず、大衆への露出は歌謡曲との融合、すなわち伴奏としての道が辛うじて保たれていただけであったことも、否定する事の出来ない事実であろう。人間国宝という言葉がまかり通っている現状から察せられるように、伝統芸能の高齢化は著しい。ここに華を持つ若者が登場することは、この遺跡の住人達が切に願いながらも、所詮は時を待つのみの他力本願でしかないという皮肉な望みでもあった。

吉田兄弟。まだ弱冠 20歳のこの兄弟が生み出す、若くしなやかな撥(ばち)の打ちつけは、どうやら伝統という堅物に、再び血流を、そして新たなる息吹を送り込もうとしていることは間違いない。

フレットを持たない津軽三味線が、兄弟の持つ耳と呼吸のみで律されてゆく。全く同じ音であることはあり得ない楽器。このやっかいな生き物を暴れるにまかせ、そして時としてなだめ、愛でる。二台の楽器、そしてこれを持つ二者を合致させていながらも、懐から生み出される音には常にズレ、ねじれが現れる。姿形を全く同じにする赤子が、一つの母体から産まれるはずもないように。そして現れたズレの中には、常に揺らぎが生じている。

自然界における揺らぎとは、肌で感じとる空気の動きのみをは意味しない。窓の向こうに揺れる木々であったり、空にかかりはじめた雲の変化であったり、流れる川に寄り添っているであろう海に至る気流を思い描くことでもあるだろう。絵として描かれた林檎畑には、それが二次元である以上、風の吹きようもない。しかしながらそれを見る者の勝手な想像がまた、そこに吹いているだろう風を生む。

林檎畑という発想はいささか突飛に思われるだろうか。もちろんこれは、津軽という土地に根ざした林檎と、視覚すらも奪い全てを覆い隠してしまう地吹雪、平穏であろうとはしない想像上の日本海という平凡な連想の一片に過ぎない。しかしこの楽器は京を中心とした際の、津軽という久遠の地を知り尽くしている。昔日の海路が落とした都(みやこ)文化の残滓は、確かにあった史実に記され、そして形を変えつつも、やはりこの地を選ぶべくして選んだ。

いずれにせよ、木々一つ一つを取ればそれは単に種ないし個という存在でしかないが、そこに関わり触れる何かによって、各々はラベル付けのごとくそれぞれ異なる者として扱われるようになる。兄弟という関係もやはりこれに等しく、括りとしての兄弟でありながらも腕の形は異なり、音は異なり、胸に抱く楽器の形は同じでありながらも音は異なるものを持つ。多くが気がつかぬうちに豊かになっていた土を受け、苗は少々早い収穫を迎えたようだ。

何かと何かとの摩擦が生じてこそ、はじめて関係という言葉は生まれる。一対一という最小の人間関係を持った兄弟の関係、そして存在は、土が生み、風が育てた楽器に、新たなる視界を持たせようとする動機付けとしては充分である。いまだ新しいはずの津軽三味線の歴史の中で、次々と生まれている新星。その中で彼らが突出したのは、兄弟という内在的に濃厚である時間の摩擦が対流を生み、その果てに作られた蜃気楼を常に追い求めたからであろう。そして同時に対流は、風という揺らぎを生み出す一つのきっかけなのである。